小説家志望 涼歌・サー・キッドの本の本当のところ

年間100冊を目標にするわたくし、涼歌の涼歌による涼歌のための本の感想ブログ。たまに自作小説も掲載予定。

【第6回】彼岸過迄(8/9読了)

夏休みです。涼歌です。

 

今回は言わずと知れた夏目漱石さんの「彼岸過迄」です。

この作品の名前は知っていたものの、実際に手に取って読んでみるのはこれが初めてでした。(恥ずかしながら、どのようなストーリーなのかすら知らず、、)

 

物語はいくつかの章に渡って構成されているものの、統一性に欠けている印象があった。「敬太郎」が主人公だと思わせといて、この作品の本当の主人公は「市蔵」ではないかと思う。昔馴染みのいとこ「千代子」に対して、俗に言う男女における愛情はないものの、他の男と仲良くしているのを見て嫉妬心を抱くという、身勝手な男心が精緻に描かれている。

 

「こころ」を読んで、さらにこの「彼岸過迄」を読んで感じたことだが、漱石の作品に出てくる主人公の「友人」は、学力的には秀でているのにもかかわらず、恋に対して非常に臆病で繊細な男が多い。なまじ頭が良すぎる分、論理的に説明できないことに対して、異常なまでの恐怖心に似た感情を過敏に抱く。

 

特に文中で市蔵が語る次の文章が印象的だ。

「白状すると僕は高等教育を受けた証拠として、今日まで自分の頭が他より複雑に働らくのを自慢にしていた。ところが何時かその働きに疲れていた。何の因果でこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと考えて情なかった」

これを踏まえて先述した言葉を修正すると、学力的に秀でているからこそ、あらゆる物事に神経的に過敏にならざるを得ない、ということか。

この作品が描かれて約100年経った今にも通ずることだが、やはり「学力がある(頭が良い)=幸せ」とは限らないのだと、改めて感じた。

 

「こころ」とは違い、自殺にまで至らなかっただけ、この作品の「友人」は救われているように感じる。(こころの方が、後に描かれた作品だが)現代人は精神的に辛くなったとき、彼岸過迄の市蔵のように上手く息抜きをして、自殺を回避せねばならない。

今の環境だけが全てではない。

 

■評価(10段階、5が平均値)

★6…市蔵と千代子の物語以外が蛇足に感じてならない。

 

では、この辺で。